一般的に、応仁の乱となった1467年から、豊臣秀頼が徳川家康によって滅亡となった1615年の間の「戦国時代」(諸説あり)。
戦国時代をモチーフにしたドラマや映画、ゲームなどもたくさんあり、戦国時代の武将が好きだという人も多いかと思います。
華やかなイメージのある戦国時代ですが、実際にはどうだったのでしょうか?
そして、戦乱の世「戦国時代」を生きた男女はどんなセックスをしていたのでしょうか?
貧富の差や男尊女卑、現代では考えられない性のカタチを徹底解説していきますよ。
戦国時代の大名や姫君のセックス事情
とにかく子供をたくさん産むことが良しとされていた
戦国時代には、とにかく子供をたくさん産むことが良しとされている傾向が。
理由としては、現代のように医療が発展しておらず、乳児の死亡率がとても高かったため。
自分の血を引く子供が多ければ多いほど、戦力を高めることができますし、特に男児は後継ぎとしての役割も担っていました。
現代では考えられませんが、子供をたくさん産むためにセックス三昧だったと考えられます。
中には、セックスを純粋に楽しむ戦国大名もいたとは思いますが、基本的には子供を授かるためのセックスを夜な夜な行っていたのです。
戦国大名の一夫多妻制は当たり前
戦国大名には正室と呼ばれる「本当の妻(本妻)」以外にも「側室」と呼ばれる現代で言う「愛人」「妾(めかけ)」と呼ばれる女性も存在していました。
側室の女性は、使用人と同じ位置関係で「子供を産むための道具」として戦国大名とセックスする関係。
有名な戦国大名である徳川家康には正室と側室を合わせて20人以上、豊臣秀吉は13人、織田信長も10人程度の妻がいたと言われ、一夫多妻制は当たり前のこと。
女性は、子供を授かって出産するまでに10か月ほどの時間がかかります。
10人産むには、ざっと10年かかるわけです。
戦国大名たちは、側室の女性たちに子供を産ませることで、自分の子孫をたくさん残そうとしたのですね。
そんな中、側室を迎えず、正室のみだった明智光秀や直江兼続や、生涯独身を貫いた上杉謙信は「変わり者」とされていたとも言われています。
男児を授かるまで産み続ける姫君たち
次々と子供を産まなければならない姫君たち。
特に男児を授かることを求められているのですが、産み分けなどできるはずもありません。
しかも、最初に男児を産んだからと言って、その子が後継ぎになる保証もありませんでした。
いくら側室が先に男児を産んでいても「嫡男(ちゃくなん)」と言われる正室が産んだ男児が優先されるといった考え方もあり、戦国大名に仕える側室は戦々恐々。
側室が産む男児は、あくまでも「嫡男」に何かあったときのスペアの地位でしたが、やはり女児より男児を産むことで、側室のランクが上がることもあり、戦国大名とセックスするための姫君たちの争いもあったとか。
男尊女卑が当たり前だった戦国時代でも、女性の強さは現代と変わらないのかもしれないですね。
男同士のセックスは日常茶飯事
戦国時代、女性は「不浄な存在」で忌み嫌われるものという考えが。
そのため、男同士のセックスは日常茶飯事、現代で言うところのBLが盛んに行われていました。
戦場には男性しかおらず、性処理をするために男同士のセックスをするしかないという事情も。
戦国大名は、ほぼ男性同士のセックスを経験していたといっても過言ではなく、豊臣秀吉は女にしか興味がなかったということが現代でも語り継がれていることからも分かりますね。
ちなみに「小姓」という戦国大名の命を守る役割の青年の侍が、大名の性欲処理の相手にされていたことも有名。
特に、織田信長と森蘭丸との関係は、文献に残っていないにも関わらず現代でもBLカップルとして語り継がれていますね。
どんなセックスをしていたのか気になりますが、口や手だけでの処理ではなくアナルセックスが主流だったことが江戸時代になると随筆に記されています。
合戦前3日間は禁欲するべし
セックスすると疲れてしまうから合戦前に3日間は禁欲してね!というようなことではないんです。
戦国時代では、女性が穢れたものとされていたので、女性とセックスすると自分の身体が汚されてしまい、戦に負けると信じられていたからなのです。
さらに、妊娠中の女性や出産してから30日以内の女性は、戦で使う武士の戦衣に触れることも許されていなかったとも。
これが、いざ戦が始まると禁欲は解禁。
男性同士のセックスはもちろん、御陣女郎という売春婦が用意されていることもありました。
しかし、戦中はいつ敵に襲われるか分からないので、セックスは短時間でサッと済ませることが基本だったようです。
戦国時代の庶民たちのセックス事情
性に対して開放的
戦国大名や武将だけでなく、庶民たちのセックスも盛んに行われていたことが言い伝えられています。
性に対して開放的であることに驚いた宣教師たちの記録も。
見ず知らずの初めて会った男女や男男がセックスを楽しむこともあって、祭りなどの出会いの多い時には茂みの中でセックスをしている姿がたくさん見られたと言います。
さらに、夜這いも当たり前。
考えてみれば、戦国時代の娯楽など、貧しい暮らしを強いられている庶民たちにはありません。
セックスくらいしか楽しむことがないというのも頷けますよね。
不倫も横行
現代の不倫と言えば、離婚の原因になったり、慰謝料の請求が発生するもの「不貞行為」と呼ばれ刑事罰(犯罪)にはなりませんよね。
戦国時代では、不倫することは罪であると戦国大名それぞれの領地の法律として確立していきます。
その内容は「武家の夫は妻が密通を行った場合、妻を殺害すべし。しない場合は夫、妻、姦夫の三者すべて処刑とする」なんてものもありました。
要するに、不倫したヤツ殺せっていうか全員死刑!ってこと。
でもこれは、武家の話。
庶民は、そんなことお構いなしにセックスに奔放で不倫も横行していたと言われています。
筆おろしは元服が目安
「筆おろし」というのは、男性の童貞卒業のこと。
元服は15歳。
その頃には、初体験をするのが普通で、20歳過ぎても童貞(ヤラハタ)など存在するほうが稀。
相手は遊女であることが多く、好きな人とラブラブエッチ!ということは少なかったと推測されます。
医療も発展しておらず、戦国時代という混乱の世の中では、早くセックスを覚えて元気な後継ぎの子供を作ることが重要。
しかも、戦国時代の庶民の結婚形態は「通い婚」と呼ばれる、男性が女性の家に定期的に通う形でした。
女性の初体験に関する資料や書物はないのですが、社会的地位の低い女性はレイプされて初体験を終えることもあったでしょう。
大人のおもちゃや媚薬も存在
性に奔放な戦国時代の庶民の間には、大人のおもちゃや媚薬も存在していました。
例えば「張型(はりがた・はりかた)」と呼ばれる勃起したペニスの形をした木型があり、直接膣の中に入れて出し入れするタイプから指につけて女性器をこすって刺激を与えるタイプも。
「長命丸」という男性が使う媚薬は、ペニスに塗り付けると硬さが持続するものだったり、「女悦丸」という女性の膣の中に入れて快楽をアップさせる媚薬も。
気持ち良くなるためのセックスへの探求心は、戦国時代も現代も変わらないようです。
売春婦には種類があった
戦国時代にいた売春婦には4つの種類があり、ランク分けされていたと言われています。
・「たち君」
街角に立って客を引く街婦。客引き役の女性と二人一組で商売する事が多かったと言われています。客引き役が客に売春婦を見せて気に入ればセックスできる形。
・「つじ君」
路地などに粗末な店を持って商売している便利で気軽な「売春宿」で、ランクは「たち君」より下だったと言われています。
・「白拍子」
表向きは舞をみせる芸者ですが、裏では売春で生計を立てている売春婦のこと。白拍子はもともと歌舞の事ですが、遊女の事を指すようになりました。
・「比丘尼」
尼さんの格好をした売娼婦。戦中の性欲処理の相手として戦場に同行したり、庶民とお寺の中でもセックスをしていることがあったようです。
戦国時代のセックス大問題
女性は穢れたものという扱い
戦国時代では、女性の地位がとても低いもので、動物のように扱われるのもザラ。
生理や出産で血を流す女性は、血で大地を汚す存在であり、戦で血を流すことを嫌う戦国大名たちは、女性をより一層穢れたものとして扱うようになったようです。
現代でも、日本相撲協会は観客席を除く土俵の部分だけは「女人禁制」とされて問題となったことを知っているこ人は多いのではないでしょうか?
令和の世の中でも、女性は立ち入ることのできない神社や山が存在していることからも分かるように、戦国時代は現代よりももっと女性の地位が低かったのですね。
望まない妊娠が増え堕胎する女性も
コンドームやピルなどの避妊方法がなかった戦国時代で、セックスが自由奔放に行われていたら妊娠する女性が多くなるのは想像できますよね。
そのため、望まない妊娠が増え、堕胎する女性も。
しかし、現代のように外科的中絶のできない時代なので、妊娠が分かると冷たい川の中に入ったり、お腹を叩いたりという原始的な方法で子供を堕ろそうとして自分の命を失う女性もいました。
また、子供を産んでから殺すというのも頻繁にあり、現代では考えられないほど子供の命は軽く扱われていたのです。
戦国大名や武家では、子供をたくさん産んでも経済的に困窮することがなく、例え女児が産まれ、戦で活躍できなくても政略結婚の道具になるので問題ないのですが、貧しい庶民は違いますよね。
自分たちの食べるものも困っているときに、子供を育てる余裕はなかったのです。
しかも、そのことが当たり前で、罪悪感もなかったというから驚きですよね。
性病の大流行で死者続出
性病も当たり前のように大流行して死者が続出。
しかし、医療技術も薬もない戦国時代では、止める術はありません。
特に流行っていたのは「梅毒」という性感染症。
当時は特効薬もなく、豊臣秀吉も梅毒によって死亡したといわれています。
現代でも、梅毒に関するワクチンは開発されていません。
現代では、梅毒が死に至る病気ではなくなっていますが、感染者は初期段階での治療が必要な怖い性病。
コンドームなしのセックスは、性感染症のリスクが高いというのは現代も戦国時代も変わらないのですね。
男尊女卑が当たり前の戦国時代に生まれなくて良かった|まとめ
戦国時代でも現代でもセックスは、人間の根本的本能で、快楽を追及していることがお分かりいただけたでしょうか?
生まれた地位や年代が違うと、セックスの在り方、性のカタチが変わるのも興味深いですよね。
現代では、好きな人とセックスを楽しむ自由はあるし、女性でも社会で活躍することも可能で、生きたいように生きる権利があります。
筆者は女ですが、男尊女卑が当たり前の戦国時代に生まれなくて良かったと痛感しています。
たぶん、速攻で死んでいますね。
皆さんも、戦国時代に生まれたらどんな人生だったか、どんなセックスをしていたか考えてみると楽しいかもしれませんよ。
執筆:Miki Shimada